【浪費家論】節約生活は退屈でつまらない|コレはホントに正しい?

貯金・節約に関する発信をしてると定期的に目にする定番のアンチ意見があることに気付きます。
その代表的なものの1つが「お金を使わない節約生活なんて人生がつまんない」って趣旨の考えです。

何となく節約生活で窮屈で楽しみが無さそうなイメージはあるね

お金は使ってナンボって輩はこういうこと言いがち

義務教育で習ったのかな?って思うくらいみんな口を揃えて同じことを言うと感じています。
授業中にサブリミナル効果とかで刷り込まれたんですかね?

真面目に授業聞かずに自習してたのが却って良かったかも

この「節約は楽しみのガマン」って考え方は大半の人には違和感なくすんなり受け入れられるんじゃないかと思います。
ただコレに抵抗が無いのはお金IQが70くらいの割とおバカな部類の人だけです。

お金IQが標準レベル以上の節約家にとってこの論理は当たり前ではなく、破綻しているように見えます。
「お菓子を食べるってことは代わりにパクチーを食べられないってことだぞ」って言ってるようなもんで、端的に「何言ってんのかわかんないっす」って感じです

こういう意見に対して節約家がする反論として定番のものがありますが、今回紹介する内容は恐らくはそういうものではありません。
節約生活も悪いもんじゃないよ?って視点というよりかは、こういう主張をするアンチ節約家に対する攻めの意見です。

このページでわかること

・節約生活をつまんないって人に対する突っ込み
・この主張の本音は何なのか?
・もう1つの可能性

今回の内容を読んでもらうことで、「節約=辛い・つまんない」って短絡的に考えてる人の認識を改めるキッカケになるかもしれません。

1 浪費家は有効にお金を使えているのか?

「節約生活はつまらないし苦しい」に対するアンサーとして、節約系の発信で最も多いのは「お金を使わない生活にも楽しみはある」ってやつです。
具体的には運動や図書館を活用した読書、自炊の腕を磨くなどがあります。

節約家の楽しみをインストールしたら健康かつ賢くなれそう

こういう生活に楽しみが見出せるってのは事実です。
節約や貯金のために無理くりお金のかからない趣味を楽しもうとしてるわけじゃありません。

中にはそういう人もいるかも

そういう無理は続かないから早晩挫折するだろうね

ただし、ショート動画・ジャンクフード・ポルノなど楽して手に入る超強い快楽や刺激が当たり前になった大半の現代人にはほぼムリな話だと思います。
濃い味に慣れ過ぎて、上品で薄味の京都料理に「何これなんも味しねぇじゃん」ってなる感じです。

不自然に強烈な刺激をしばらく絶って、薄味に慣れていくことも必要だけど、これを継続できる人はあまり多くありません。
なので、インスタント快楽依存症の現代人に、公園とか図書館で過ごす「平穏で丁寧な暮らし(笑)」的なのをゴリ押しする気は無いです。

打っても響かない人を懇々と説得するようなムダな努力はしない主義

「試してみるか」って思えた人だけ一緒にやってみよう

因みに現代の不自然すぎる刺激に毒された状態だとお金に苦労する理由については別のページで解説します。

今回のメインテーマはこれとは少し視点を変えたアプローチです。
浪費家に対して「言うほど楽しい使い方ができてる自信あるの?」って問いを投げかけてみたいと思います。

「お金を使わない節約生活はつまんない」ってことは、逆を返せば「今は最高に有意義で楽しいお金の使い方ができてる」ってことになります。
全てのお金の使い道に1ミリのムダもなく、1つでも使えなくなったら一気に人生が暗くなって、もう生きてる意味が無くなったも同然ってことです。

全ての使い道がその人にとって生き甲斐ってことだね

浪費家が内容を自分に都合が良いように曲解してバイブルにしてる「Die With Zero」には、「最後に残るのは思い出だけ」とあります。
そういう「人生最後に思い出す経験になるお金の使い方か?」って質問を言い換えても良いかもしれません。

あくまでぼくの主観ですが、そんなにも有意義な使い方で支出の欄が満たされてる人はいないと思います。
そう考える理由はシンプルで、そもそもこの世にそんな重要と言える使い道がないからです。

「お金を使わなくても楽しめる」じゃなく、「お金をかけてもさほど楽しくない」が正しい

どんだけ暗い人生観なの

「今」にフォーカスし過ぎてると重要な使い方だと誤認しやすくなりますが、「死ぬ時になって思い出す内容か?」って考えると判断が歪みにくくなるはずです。
死ぬ前に、くだらない飲み会やコンビニ飯を人生最高の思い出として想起する人はいないでしょう。

「お金持ちはケチだ」「金があるならそれくらい払え」も定番のディスりですが、これもお金の本質が分かってない人たちの戯言でしかありません。
さほど重要で有意義な使い方と思えないから使わない、または事業や自己研鑽、投資などもっと社会的に意義がある使い道があるから浪費をしないだけです。

自分の財布にいくら入ってようがゴミはゴミのままだからね

「お金あるんだからゴミも買えよ」って言ってるようなもんか

もちろん有り余るお金がある人なら、ゴミでも構わず使ってしまって良いかもしれません。
使って良いかどうかの判断に時間や脳みそを使う方がムダだからです。

しかし大半の人は有り余るお金を持ってませんし、自分の人生・寿命を犠牲にして得た大事なものです。
フラットな視点では無意味なものばかりと思えない人でも、お金がどれだけ重要なものかを考えれば大半のものはゴミに見える視力を取り戻せると思います。

2 節約生活の苦しさとは何か?

そもそも無いと困る・人生がつまらなくなると言えるほど重要な使い道はかなり少ない。
さらにそのために使うお金が自分の人生・寿命の代償と考えれば、価値のある使い道はほとんど残りません。

この2つの事実を認識できれば節約生活を簡単に受け入れられるようになるでしょうか?
残念ながらたいていの人はそうはなりません。

というのも「節約生活を辛い・つまんない」と考えることの本質は、お金の使い道の良し悪しの問題じゃないからです。
つまり世の中のあるゆるものに価値があると誤認してるから節約できないわけじゃ無いってことです。

ホントの問題が何かって言えば、頭を使って要る・要らない、価値の有無を判断するその労力です。
巨大な脳を持つ人類としては認めたくないかも知れませんが、節約できない人は大きな脳みそを乗っけてるだけで、それをしっかり使えていません。

だからお金IQが70くらいって思ってる

すなわち「お金を使えないこと=人生が楽しくなくなる」じゃなく、「お金を使うべきかの判断を挟む=大変でめんどくさい」が正しいです。
この2つをごっちゃにしてしまってる人が多くいます。

人間を含む全ての動物が効率的な省エネ活動を目指してるので、頭を使って判断するプロセスは苦痛で、悩まず使った方が快適に感じます。
お金を使う対象が魅力なんじゃなく、思考停止でお金を使える生活そのものがハッピーってことです。

単に思考をサボってるだけですが、人間の端くれである以上その事実を認めたくないと思います。
なので代わりに節約してる人を「チマチマしたことに拘ってみみっちい」とマイナスに評価し、論点をすり替えることで、やらない現状を正当化してるだけです。

言い訳・正当化がバレるのもかなり恥ずかしいけどね

因みに買うべきかの判断にかけた時間で、それ以上に稼げるような超レアケースは別です。
どこのサイトで買うのが一番安いか?なんて比較に数時間も頭を悩ませるのは不合理極まりないです。

ただしこんな人は世の中にほぼいないからFF(フィナンシャルフィクション)の世界と思って良いでしょう。
こういうごくごくごく一部の経済的アベンジャーズじゃない99.9%のモブたちはしっかり頭を使うべきです。

ちなみに年収1,000万くらいじゃアベンジャーズには入れません。
せいぜいアベンジャーズと一緒に戦ってる軍隊の一員くらいで所詮はタダの人です。

こういう人は金に糸目は着けないと、サノスの指パッチンでチリにされるよ

「そんな判断を日常でちゃんとしてたら時間がいくらあっても足りないだろ」って思う人もいるかもしれません。
SNSやテレビ、ゲームなどムダな時間を削ることも必要ですが、そもそもお金を使うシーンを少なくすれば良いだけです。

要不要とか価値の有無、すなわち使うべきか否かの判断のフィールドまで持ち込まないのが根本的な対策になります。
そのためにSNSとか広告とかメディアや物欲を喚起する刺激に不用意に触れないようにしましょう。

節約家とは言え同じ人間なので、思考のリソースは浪費家と何ら変わりありません。
そこらの普通の人がやってるありえない量の支出に対して、真っ正面からまともに向き合って丁寧に判断してたら正気を失います。

そもそも購買意欲を誘う刺激から距離を取るか、刺激に触れ続ける代わりに大量の項目に対して丁寧に判断するかのいずれかです。
両方をサボったらまず資産形成はできません。

「死んでも頭は使いたくない」って人と呼んでいいか怪しい人たちは根本の判断の数を減らすしかないよ

まとめ

節約生活はホントにつまんないのか?について解説しました。

節約生活が当たり前になってる身からすると節約そのものは辛くも何ともありません。
もちろんつまんない人生だとも思っておらず、むしろ毎日を心身とも健やかに過ごせています。

・お金を使わずとも楽しく過ごす方法が山ほどある
・お金を使ったとこで使わない楽しみを越えるわけでもない
 =値段がついてるだけで価値がないものばっか
・お金は人生や寿命を犠牲にして得た大事なもの
・お金そのものを持ってることの恩恵もかなり大きい
 =あえて価値の低いモノやサービスなどに変える理由がない

この辺のことを認識できると、お金を使うこと自体にそれほど大きな意味があるわけじゃないと気付けると思います。

「お金を使えないなんてつまらない」って思ってる人は「そんなに有意義で削る余地が無い完全無欠な使い道で満たされてるか?」って自問自答してみるべきです。
これに自信を持って「YES!!」と答えられる人はごく少数でしょう。

1人もいないかもね

お金は人生の対価って大げさな定義を抜きにしても、意味のある使い道は少ないと思います。
「あったらいいなー、なくても良いけど」ってレベルのものばっかなんじゃないでしょうか?

節約生活がつまんないわけじゃなく、根本の問題は別のところにあります。
それは「お金をかける価値があるか?」の判断にかかる労力です。
つまり本質は支出の判断に頭を使うのが辛いってだけでしかありません。

時間を理由にこの思考をサボっても良いのは一握りの経済的アベンジャーズだけです。
大多数の民間人はその手間を惜しんだら即死、つまり経済的な苦労に繋がります。

こういう大多数の凡人がやるべきは思考をサボることじゃなく、思考する対象そのものを減らすことです。
節約家は全ての物欲を自制心でコントロールしてるわけじゃなく、そもそも物欲を起こさないようにしています。

ムダな戦いを避ける戦略は見習うべきだね

思考の手間とは別に、もう1つの可能性があります。
その可能性とは買い物依存症です。

つまりお金の使い道・対象じゃなく、お金を使うことそのものに依存してるケースです。
こういう人は買い物によって分泌される脳内麻薬のドーパミンに依存してしまっています。

ストレス発散のために買い物するって人もいますが、これはストレスのマイナスをドーパミンの快楽で打ち消している状態です。

しかしこの状態は言うまでもなく健全とは言えません。
ストレス解消のための買い物に使うお金をストレスフルな仕事で稼ぐっていう、清々しいほど哀れなマッチポンプです。

アルコール・ギャンブル・ポルノ・薬物依存と同等の合理性の無さってことは認識しとくべきだね

お金を使うことそのものにさほど意味があるわけじゃないことを分かって貰えたでしょうか?
このことが分かるとお金の悪い側面から自由になり、メリットだけを享受できるようになるので、ぜひこの境地に辿り着いて欲しいです。
てなとこで。